時にはクリティカルシンキングの話を:経済指標のウソ

公開日: 2017年6月25日日曜日 ソーシャル ビジネス

知り合いづてで本を貸してもらうことが最近増えてきました(ありがとうございます)。自分の選ぶ本の幅に狭さを感じてきていたので、普段意識していないことにも興味を広げて読んでいます。そうでなければ、なかなかこういったタイトルの本には手を出さないので。


済指標のウソ
ザカリー・カラベル(著)、北川知子(訳)
ダイヤモンド社 (2017.03)


おススメされた理由の1つは、前にCreative Knowingのセミナーの中で、印象的なキーワードとして出てきた『凡庸の壁』を超える視点をもつために、ヒントになるのでは?ということでした。凡庸の壁とは、誰もが知っていることではなく、自分だけしか持ってない視点や考え方によって新しい事象を捉える、それが創造的なリサーチスキル、ということですが、それを経済の分野に対して批評しているのが本書です。

本書の主張は全体を通してはシンプルで

『政府が出すような主要指標は一国のシステムとして測定するためのあり、役人に力を与えて政策を進めるためのツール。なので、個人の経済生活を測定するためのものではない(ので勘違いしないように)』

簡単にいうと誰のための数値か?ということです。分かりやすい例をあげると、政府は失業率をx%というデータで示すけど、個人にとっては0か100かのどっちかでしかなく、全体最適化のためのものであって個人に向けられた数値ではないということです。

市民1人1人のためではないので、歴史をさかのぼると色んな恣意的な数値や印象操作があります。今も使われているものでは、例えばGDPは国民の幸福度とは直接的な関連性はないにも関わらずそう語られていたりするという現象が見られます(それを指摘する評論家ももちろんたくさんいますが)。そういった状況に対して、ブータンでは独自指標があったり、アメリカに懐疑的なフランスのサルコジ前大統領がGDPとは違う測定指標をつくろうとした動きもあったなか(僕は知りませんでした)、何のための指標なのか意識しておかないと、こうしたことに気づかずに見過ごしてしまいそうです。



本書の中でミクロ経済学のことが書かれていましたが、個人的にとても興味のある内容でした。マクロ統計では全体の状態(統計Statisticの語源は状態を意味するState)は把握できても、個人の生活や実感のことはわからない、そういった背景から、個人の意見に基づくアンケートによって社会を知ろうという取組みが1967年にアメリカで行われたそうですが、経済学者からは否定的であったそうです。

デザイナーはユーザー側(1人1人)に立つことが多いのでミクロ経済学的な考えに近いと思いますが、ビジネスの会議などでコミュニケーションがかみ合わないことがよくあります。その数値や指標は誰のためのものか?を常に考えながら位置づけを捉えることで、取組みに関わるデータがもっと上手く扱えて、物事を進めることができるようになるのかなと思いました。

この本を読んで凡庸の壁が超えられた感じは正直あまりないですが、ものごとを批評的に見る視点を持つ必要性は少しわかったような気がします。ところでこの本、一切図表が出てきません。指標を批判したものだからグラフを載せないのは当然なのかもですが、なかなかしんどかったです。
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